076-441-6674
info@toyosakainari.com
User login
Facebook
Twitter
Google+
YouTube
Instagram
豊栄稲荷神社
✕
  • ホーム
  • 新着情報
  • 祭り・取組み
  • 各予定表
  • 豊栄稲荷の神々
  • お知らせ
    • 奉賛会からのお知らせ
  • 文化活動
    • 日本海文化悠学会
    • 古事記を読む会
    • 茶道
  • 奉賛会
  • お問合せ

人生儀礼

年祝い(賀寿)一覧

人生儀礼

私たち日本人は、生命は神様から授かったものとして日々の生活や人生のさまざまな節目には、家族揃って神社にお参りをし、神様に感謝とこれから先のご加護を祈ってきました。

我々の日常生活そのものが、神様と深い関わりを持っており、 中でもお子さんは「初宮」「七五三」などの人生儀礼において神社にお参りすることで、神様に見守られていることを感じて意識するようになると、心の平安と安心が生まれます。

人生節目の祈願・祈祷とは、命を授かってから一生を終えるまで、人生の節目節目に必要とする神詣(かみもうで)のことです。無事に過ごしてこられたことを奉告・感謝し、家族共々の今後の安泰を祈りましょう。

私たち日本人にとって大切な「人生儀礼」をご紹介します。

当宮の人生儀礼一覧

安産と着帯
お七夜と命名
初宮
お食い初め
初節句
七五三
入学・卒業
成人式
神前結婚式
厄年
安産と着帯
girei_p01子宝に恵まれたことを神様に感謝し、胎児の健全なる発育を願い、妊婦が腹帯(岩田帯)を締めるお祝いです。
妊娠五ヵ月目の戌(いぬ)の日に神社で安産を祈願し、岩のように丈夫な子供に育ちますようにとの意味を込め腹帯をしめます。
戌の日が選ばれるのは、犬が多産でお産が軽いということにあやかってのことです。安産の特別なお札・お守りと腹帯をお授けし、お子様が無事に誕生されますよう安産祈願を行なっております。
お七夜と命名
girei_p02

赤ちゃんが生まれ無事に成長した七日目を大切な節目の日と定め、「お七夜」と呼びお祝いします。
この日は、赤ちゃんのお名前を決めて神棚にお供えし(床の間に飾る)、初めて産着に袖を通す儀式が行われます。

初宮
girei_p03赤ちゃんが初めて神社にお参りする「初宮参り」は、無事に誕生したことを神様に感謝し、今後の健やかな成長を見守ってもらうようにと祈願するものです。
男児は生後三十日目、女児は三十一日目にお参りするのが通例(地域によって若干の相違はあります)ですが、それ以降でもご都合の良い日にご参拝ください。
当宮では、赤ちゃんの健やかなる成長をご神前にて祈願し、赤ちゃんのお守りとお食(く)い初(ぞ)めの食器をお授けしております。
お食い初め
girei_p04生後百日を過ぎると食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式「お食い初め」を行います。
ちょうど百日目にお祝いすることから「百日(ももか)の祝い」ともいいます。
お膳には、赤飯のほか、柔らかな赤ちゃんの頭が早くしっかりするようにと鯛などの尾頭付きの焼き魚が付けられます。
初節句
girei_p05生まれてから初めて迎える節句を「初節句」といい、子供の健やかな成長を願うとともに、厄除けの意味も込めてお祝いします。
男の子は5月5日の「端午の節句」に鯉のぼりや武者人形などを飾り、邪気をお祓いするとされる菖蒲の茎をいれた菖蒲湯に入ります。
女の子は3月3日の「桃の節句」に雛人形を飾り、ちらし寿司や甘酒などをいただきます。
七五三

girei_p06この年ごろの子供の年祝いをする古くからの風習に由来するもので、3歳の男女児の「髮置(かみおき)」、5歳の男児の「袴着(はかまぎ)」、7歳の女児の「帯解(おびとき)」のお祝いがございました。

入学・卒業
girei_p06成長していく過程で、入学・受験・卒業なども人生の中で大きな転換期です。
神様にお参りをし、今後の無事とさらなる成長を祈願します。
当宮では、受験合格祈願に加え、個人・団体の方の新入学をお祝いするとともに、さらなる学業上達と身体健全のご祈願も行っております。
成人式
girei_p0920歳になると、男女とも神様にお参りをして、無事に大人の仲間入りができたことをご奉告しお祝いします。
昔、男子は15歳、女子は13歳頃になると元服といい、髪形をあらためるなどして、社会から大人として認められるための儀式を行いました。
現在では、成人すると社会人として選挙権などさまざまな権利が与えられ、それと同時に法律上の責任や義務も生じ、大人としての行動や考えを自覚する大切な節目となっています。
神前結婚式
girei_p10結婚式は数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな人生の節目といえます。
ご縁により結ばれたお二人に、これからご生涯をともにし、苦楽を分かち合いながら明るく清らかなご家庭を築いていくことを神様にお誓いいただきます。
当宮の「神前結婚式」はリーズナブルプチ結婚式です。「儀式殿」において、末永いご多幸をお祈りし厳粛に挙行させていただき、素晴らしいお二人の門出をお祝い申し上げます。
厄年
girei_p12古来より人生の節目を「厄年」として忌み慎む習わしがあります。 「厄年」を迎えるころは、ちょうど精神的・身体的・社会的に転換期を迎える時期と重なり、さまざまな面で変化の多い年回りとされています。
数え年で、男性は25歳・42歳・61歳、女性は33歳・37歳・61歳が「大厄」となり、この大厄の前後の年齢が「前厄」「後厄」となります。
さまざまな災いからお守りいただきますよう神社にお参りして厄祓いをお受けします。

年祝い(賀寿)一覧

長寿を祝う儀式を「年祝い」と言います。両親や祖父母をはじめ、家族が長寿であることほどおめでたいことはありません。年を重ね、無事に人生を送ってこられたことを感謝し、更に今後の厄災消除(やくさいしょうじょ)、身体健康、延命長寿(えんめいちょうじゅ)をお祈りします。家族揃って神社へ参拝し、お祓いを受けられるとよいでしょう。

還暦
古希
喜寿
傘寿
半寿
米寿
卒寿
白寿
還暦

還暦(かんれき)  61歳

干支が一巡して生まれた時の干支にかえるお祝いです。生まれ直す、すなわち赤ちゃんにかえるという意味合いから、赤い頭巾やちゃんちゃんこ・座布団などを贈ってお祝いする習慣がございます。

古希

古希 (こき)  70歳

唐の詩人杜甫(とほ)の詩「人生七十古来稀なり」という言葉からつけられました。お祝いの仕方は、時代や地域により、また各ご家庭それぞれで違い決まった形式はございません。

喜寿

喜寿(きじゅ)  77歳

喜の略字が七・十・七に分解されることからつけられました。

傘寿

傘寿(さんじゅ)  80歳

傘の略字が八・十に分解されることからつけられました。

半寿

半寿(はんじゅ)  81歳

半という字が八・十・一に分解されることからつけられました。また将棋盤の目が八十一あることから盤寿ともいわれます。

米寿

米寿(べいじゅ)  88歳

米という字が八・十・八に分解されることからつけられました。

卒寿

卒寿(そつじゅ)  90歳

卒の俗字「卆」が九・十に分解されることからつけられました。

白寿

白寿(はくじゅ)  99歳

百の字から一をとると白という字になることからつけられました。

コンテンツリンク

儀礼の真意

儀礼の真意に溶け込む

祭り・取組み

当宮の取組み

富山の薬

売薬の由来は前田正甫公

儀礼の真意に溶け込む

もし、今、私たち大人が子どもに戻ると、あらゆることが非常に強烈に感じることでしょう。

自分が浜辺を駆け回ったり、貝殻を集めたりしているところを、あるいは庭で蝶を追いかけているところを思い出して見てください。

ものごとがまったく全面的に違っていたことを・・・
命がどれほど色彩に満ちていたかを、あらゆることが、どれほど奇跡的だったか、驚きだったかを思い出してみてください。

その時、私たちはそのエネルギーに満ち、輝き、沸き立ち、喜びに溢れていたことか!

それらは大人になった今とは、まったく異なった次元にあり『小さなこと、意味のないこと』にも喜んだものです。遊び心に満ち、すべてのことが不思議で必ず神秘的でした。

しかし、大人になった今でも、それと同じことがまた起こりうるし、再び起こらねばならないと思います。

ゆえに、還暦の祝いに赤いちゃんちゃんこを着て、私たちはまた、子供心を取り戻すということだと思います。決して参拝や儀礼はカタチの風習ではなく、節目節目に、神々が私たちの前に舞い降りるための機会であり、それが参拝や儀礼の意味ではないでしょうか?

祭り・取組みのご案内

豊栄稲荷神社で取組んている、年間行事をご覧いただけます。

すべて
祈 祷
人生儀礼
おみくじとお守り
神前結婚
参拝案内
奉賛会
神前結婚

神前結婚

神前結婚
ご祈祷

ご祈祷

祈 祷
参拝案内

参拝案内

参拝案内
人生儀礼

人生儀礼

人生儀礼
おみくじとお守り

おみくじとお守り

おみくじとお守り
奉賛会

奉賛会

奉賛会
富山の薬、発展のルーツ。


 前田正甫公と豊栄稲荷神社の秘話

藩政においては父の方針を受け継いで藩制の確立に努め、文武を奨励して多くの有能な人材を招聘した。金沢藩の支藩として成立した富山藩はゆえに、越中国内の旨味の良い土地は金沢本藩がおさえていた為、10万石といえど財政は豊かではなかった。正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させることは勿論、自領の低い農業生産力に頼るだけではない、その他の殖産興業に努めることで、藩財政を豊かにしようとした。但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、産業奨励などにも積極的に行なった。また、正甫は病弱であったとされ、ゆえに薬学に興味を持ち、(史料的な裏付けは無いが)江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。

豊栄稲荷神社のWEBサイトが新しくなりました。

「只今、調整中にてご迷惑をおかけしております。」

平成29年 七夕祭まで あと

[dsrc id=’6896′ ui_div_id=’new_value’ /]

奉賛会の方々

人々の平和がすべての神の願いです。

  • Home
  • 祭り・取組み
  • 由 来
  • お知らせ
  • 奉賛会
  • お問合せ
© All rights reserved. TOYOSAKAINARI-SHINTOU