あなたの仕事運や健康運は・・・そして恋愛運はどうですか?
お守りとは心の支えのひとつとして活用することで、あなたの持つ力を最大限に発揮できるきっかけ作りとなります。 「私は必ず、うまくいく」と、お守りという存在が精神面において強い支えとなり、幸運へと繋がっていきます。
つまり、自分の力を引き出すために存在しているのが、神社、お守り、占いなどであり、別にまやかしではないのです。最近ではラグビー日本代表選手の五郎丸さん、プロ野球選手のイチローさんなど活用しているルーティンと同じ効果があります。
それをどうするかは自分次第・・・
神様はいつでもあたたかく後押しとして、お守りや占いというカタチで私たちを見守り、勇気づけ、ときにはシッカリと戒めていただける本当にありがたい存在です。これらのステキなアイテムを活用して、もっと楽しく過ごしていきませんか。
一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失(う)せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事(かゆうらしんじ)や、神社の祭事に奉仕する頭屋(とうや)などの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。
スタンダードは守ってきたお守りの筋がピーンと入っています。 | ![]() |
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私の一推しはこのまぁ~るいお守りです。だってカワイイんですもの♡ (★クレちゃん一推し) |
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ポイントは実力を出し切ることです。体調管理にも気を付けましょう。 (クレちゃんも応援してます) |
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購入された方のおよそ7割の方が吉報をもってお礼参りに来て頂きました。 (アヤちゃんも応援してます) |
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神様は本当にいらっしゃると感じる瞬間です。 (クレちゃんも見守ります) |
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今年は1等も夢じゃない! (アヤちゃんも持ってます) |
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お礼を尽くすことが人間関係の基本であるように、一年間無事にお過ごしいただいた後やお願いごとが成就した際に、感謝の心を持って天神さまへお礼参りにお越しください。
受験合格のお礼参りをお申し込みの方には、御本殿にて奉告祭を行い、「合格御礼の絵馬」をお授けしております。 お札・お守り授与所にてご本人様のお名前、ご住所、ふりがな、主旨(例 ○○大学合格御礼)をご記入いただき、初穂料をお気持ちでお納めください。この絵馬に天神さまへのお礼のお気持ちやこれからの決意などをご記入し、絵馬掛け所にご奉納ください。
その他の祈願成就や厄晴れなどについても同様に受付をさせていただいております。
お住まいが遠方の場合は、上記の内容を便箋などにお書きいただき、お気持ちの初穂料を添え、現金書留にて下記までご送付ください。
神主として神社にいると、たくさんの出会いがあります。
大きな会社の社長さん、ご見識の深い大学の先生、呉羽山を散歩されるご夫婦や若いカップル、七五三や初宮のお子さんまで。私が神主にならなければ、出会うことのなかった人々との出会い、その一つ一つを大切にして、神社に来られる方々が気持ちよくお参りできるような環境を整えていくことが神主としての使命だと感じております。
神社は伝統・文化を守ることはもちろんのこと、その伝統・文化を伝え、新しい情報を発信出来る場にしていきたいと思っております。
多様な人々が集い、学び、安らぎ、笑顔や笑い声があふれる神社にすること。
それが、御創建された前田正甫公の「富山が豊かに栄えるように」との思いを受け継ぐことに繋がるのではないかと、そう考えております。
前田正甫公と豊栄稲荷神社の秘話
藩政においては父の方針を受け継いで藩制の確立に努め、文武を奨励して多くの有能な人材を招聘した。金沢藩の支藩として成立した富山藩はゆえに、越中国内の旨味の良い土地は金沢本藩がおさえていた為、10万石といえど財政は豊かではなかった。正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させることは勿論、自領の低い農業生産力に頼るだけではない、その他の殖産興業に努めることで、藩財政を豊かにしようとした。但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、産業奨励などにも積極的に行なった。また、正甫は病弱であったとされ、ゆえに薬学に興味を持ち、(史料的な裏付けは無いが)江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。
「只今、調整中にてご迷惑をおかけしております。」